太平洋はきれいでした

「小型ヨットでの単独無寄港・無補給の太平洋横断に成功した同志社大4年、友田享助さん(26)=京都市=が31日夕、米サンフランシスコから関西空港着の航空機で帰国した。子供のころからの夢を実現し、充実した表情で「太平洋はきれいでした」と語った。」

京都新聞 2003年10月31日 より引用

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2003oct/31/K20031031MKE1K100000103.html

素晴らしい偉業の記事をカリフォルニアの日本人向けコミュニティー新聞にて目にした。2ヵ月半の単独航海。ゴールデンゲートブリッジをくぐってゴールのあるサンフランシスコ港に到着したという。

なぜ、彼は太平洋横断をしたのか。子供のころからの夢だったからだという。そんなにも純粋に夢を追い続け実現した彼はかっこいい。写真をみても自信に満ち溢れている。夢だからという答えに対して、それ以上の突っ込みようはない。また、その夢の内容が実に壮大だ。

友田氏のお父さんもヨットマンで、亡き父の命日に日本を発ったという。彼が夢を実現できたのもお父さんが好きだったからに違いない。お父さんになにかやったという証を示したかったのだろう。その証拠に日付変更線近くで汲んだ海の水を亡き父の墓にかけたという。志があったからこそ夢が実現できたのだとおもう。

彼はまだ26歳だ。若くして夢を成し遂げてしまった。いや、若くないと成し遂げられない夢だったのかもしれない。今後彼はなにを夢みて、それを実現していくのだろうか。いまはなにも考えられないかもしれないが、彼はきっとまた大きなことをやってくれると思う。

自分の子供のころの夢ってなんだったんだろうと思い出してみた。幼稚園の頃は「宇宙飛行士」になる絵を描いた。小学校の卒業文集では、「大学院に行くこと」と書いていた。高校生になると夢の話などしなくなった。だんだん世の中の現実というのがわかってきたからなのだろうか。ところが、社会人になるとまた夢の話がでてきたのである。

会社では目標管理という仕組みで社員に夢やゴールを考えさせる。もちろん仕事、職業観に関連した夢を作らせ、会社の業績向上と個人の自己実現の一挙両得と図る。無理やりにでも一年に一度考えさせられる機会を与えてもらっていることはありがたいと思うが、会社が強制的にやるのはおせっかいな話だ。とてもじゃないが本音のゴールや、夢はかけない。なぜならぼくの夢はいまの会社に属していてはできないからなのだ。だいたいその会社のためになるような目標を考えてしまうとせいぜい部長になりたいとか役員になりたいというくだらないことしかでてこない。ポジションに就くことよりもなにをやりたいのかということのほうがよっぽど大事だ。

ぼくの夢は「人事コンサルタント」になること。大人になってから考えた夢なので、だいぶ現実的な夢だ。コンサルタントという職業は自分でなのればはじめられるので、いつかはきっとなれるだろう。大事なのは、その目標をいつにおき、どのような形で始めるかということ。そしてそれ以上に、そのために今できることを今すぐはじめるということだ。

幼稚園のときに描いた宇宙飛行士になる夢は実現しないだろう。なぜなら、それは夢でもなんでもなくただ絵を描けといわれたときに思いつきで書いたもので、またそうなるために今までもなにもやってきていないし、またこれからもそれになるためにやることはないからだ。小学校の頃に思った夢である大学院にいくことは、近い将来実現する。そのための準備をする計画をすでに立てているからだ。人事コンサルタントになる夢は大学院に行く夢の延長上にあるとおもっている。

「夢というのは叶うものではなく叶えるものです」という言葉を聞いたことがある。ぼくは叶えるということを、計画を立てて実行することと解釈している。どんなことでもいいからその夢の実現に役立つことを今からはじめていきたいという気持ちが最近とくに高まってきている。今は忙しいからといって先延ばしにしたことは今までに何度もある。ただそれは自分の弱さであって、夢の実現に勝ることは他にあるはずがない。もちろんその状況に応じて優先順位付けというのがあるだろうが、それでも夢に向かってすることはゼロにはならないはずだ。だからまだまだ時間はあるとは思わないようにしたのだ。

なぜ公開日記に書くのか、なぜ公開日記を書くのか。それはぼくがいままで回りに目標を宣言することで、自分にプレッシャーをかけ、目標を達成したきたタイプの人間だからだ。このことをラーニングの専門用語で「公力(こうりょく)効果」というらしい。人間自分一人で立てた約束は平気で破るが、周りの人に影響を与えてしまう形で立てた約束は忠実に守ろうとする。自分の弱さを人の目をつかってコントロールする。多くの人は実はそれほど他人のことを気にしていない。気にするのは得てして自分である。だから自分ひとりじゃくじけそうになることには周囲を巻き込んだほうがいい。だからこうして公開日記も書いている。自分のコントロールのためというのがその理由のひとつだ。

友田氏の、「太平洋はきれいだった」という言葉は夢を達成した人だからこそいえる重みのある素晴らしい言葉だと思う。彼はきっと夢の続きを見るに違いない。