鏡開き

とうとう餡子までつくるようになってしまった。会社の同僚に鏡開きのイベントを企画してお汁粉を振舞う計画だ。もちろん、餡なんて産まれてこの方つくったことないし、鏡開きが1月11日だということもネットで調べるまで知らなかった。ただ、子供の頃お汁粉を食べることを楽しみに待っていた記憶があり、その思いをシェアしたいと思っての計画だ。

お菓子の本を見ながら餡を茹でたが、すぐに沸騰して差し水をささねばならぬので目が離せない。餡ができるまで3時間ほど要した。

餡を実際に作ってみると、餡の甘さは砂糖の甘さ主体ということに改めて気づかされる。茹で上がった小豆自体は非常にほんのりとした甘みが気づくか気づかないか程度に感じられる味であって、それ自体は決して甘いものではないのだ。

もうひとつの発見は、小豆が膨張すること。わずか250グラムの小豆が3倍ほどに膨れ上がる。

こうしてできた餡をみると、親戚の家でいつもお彼岸のときいただいていた手作りお萩の餡を思い出す。そのお萩の餡は、大きなしっかりとした豆つぶが食感として感じられるものだった。今回の餡はそのイメージに限りなく近いものであった。もちろん、親戚の家のお萩とは、まだまだ似て非なるもであるが。

そんな思いでつくったお汁粉を振舞ったわけだが、甘い物好きのアメリカ人には案の定上々の反応だった。食べながら鏡開きの意味を説明したり、お汁粉の作り方を教えたりして、会社の会議室はすっかり文化交流のサークルの場と化していた。

ところで鏡開きの目的って、どなたかご存知?ぼく自身も調べて初めて知ったのだが、昨年の健康を祝うことだそうだ。

以前にも書いたが、アメリカに来て初めて日本文化の意味と伝統の大切さに触れることができた。これまた必ずや次の世代に伝えていかなければならない日本人の大事なアイデンティティーだと気がついた。