法事

祖母が他界して一年になる。老衰のため息をそっと引き取ったのは去年の真夏日のことだった。祖父が亡くなったのはぼくが生まれた年。そして今年は祖父の33回忌。祖母は実に祖父が亡くなってから32年間の余生を未亡人として生きてきたのである。

今日はこれまたこの上なく暑い。漢字の表現としては熱いといったほうがよりニュアンスが近いかもしれない。ショウロンポウにでもなってしまったかのように、体が蒸しあがり、体液は熱々の汁と化している。

幸いにして、お寺の中は冷房がぎんぎんに効いている。冷房がなかったらお経を唱えるお坊さんのほうこそたまったものではない。うちはおおくの日本人同様に無宗教で通しているが、ことに法事に関しては浄土真宗だ。懇意にしているお寺さんが、たまたま浄土真宗西本願寺派だったから。ただそれだけの理由だと察する。

昨年、このお坊さんの説教がためになったので、今回もしっかりメモを持参し、要点を書きとめた。お坊さんというのは結構漫才師もびっくりするほど実は噺家である。ホワイトボード何ぞ用意して、巧みに説明する。日ごろビジネスでよく目にするパワーポイントのスライドを使った説明とは比較にならないほど、洗練されている。

前置きが長くなったが、今回の題材は、「数珠」であった。よりによってつい数ヶ月前に東大寺で購入した初めての数珠を、祭壇におきっぱなしにして忘れてきてしまった。

ところでみなさんは数珠の意味をご存知だろうか。数珠とは108の煩悩の象徴であり、数珠を手に持ち念ずることで、煩悩が消え、災いもなくなり、心身が楽になるという。実際に数珠の数は本来108玉であるが、最近はそれを簡易にし、4半分の27玉や108になぞらえた18玉などがある。

代表的な煩悩は、貪欲、瞋恚、愚痴、我慢、偏見、邪見、餓鬼、修羅、畜生などである。これら煩悩を持つものは浄土真宗上の「悪人」であり、お焼香することによって、心の濁りが解消されるという。従って、自分が悪人でないと思っていらっしゃる方はお焼香をする必要がないそうであるが、法事でお焼香をしない人などいまだかつてみたことない。

次回の法事には必ず「数珠」をもっていこう。なぜならぼくはお焼香をパスする資格がないのだから。