電気とぼくたちの暮らし

アメリ東海岸で大規模な停電が発生した。勤務先の東海岸のブランチは木曜午後からオフィス機能が停止したとのemailが流れた。地下鉄は動かなくなるし、コンピューターは使えない、エアコンも、ライトもつかない。帰ろうとしたら、エレベーターが止まっていたそうだ(当たり前だ)。

ぼくたちの暮らしは、電気によって快適さを供給されている。アメリカでは二本以上にそれを実感する。アパートには防災のため電気コンロが備え付けられており、たいていはオーブンもある、火を使うのは野外BBQの時だけだ。食べ終わったあとの食器は、食器洗い機できれいにする。これ使ってみると便利なことに気がつく、さっと汚れを洗い流してあとは機械にお任せ、乾燥までしてくれるところが嬉しい。アパートには共同ランドリーか専用ランドリーがあり、洗濯機と乾燥機がついている。外では干さない。乾燥機を使うと生地が縮むのが難点で日本からもってきたものはつんつるてんになってしまったが、それをみこしてこちらでは大き目のものを買っているし、大き目のものしか市場にない。

このように、電力は毎日の生活に密着している。毎日の生活を便利にしてくれるならお金と引き換えにかってしまいたいのは当然の欲求である。いまNHKの大河ドラマ宮本武蔵をやっているが、なんともつつましい生活だ。夜になるとろうそくの灯火しかなく、囲炉裏を囲んで食事をする。現代の生活が如何に便利になったかを実感する。

だが、しかしである。この電力はどうやって生産されているかを考えて欲しい。火力発電は、天然資源である石油を燃やすことで生産され、原子力は事故と隣り合わせの危険な資源だ。水力発電は、枯渇しない資源のように思えるが、ダムを建設することで森林を破壊し、生態系を崩壊している。

全部が全部環境を破壊しているかというとそうでもなく、環境に優しい発電もある。カリフォルニアには風力発電がかなり実用されている。低い山が多いのだが、山の上には大きなアメリカンサイズの風車が立ち並んでいるのを目にする。もともと禿山の上に風車を立てているので、見栄えはさておき、環境には優しい。続いて太陽電池。年中日差しが強く雨もほとんど降らない土地なのに、太陽電池はあまりみない。友人id:jishihaのアパートにあったのを見かけたくらいだ。ラストは地熱発電。日本では阿蘇山カルデラで実用化されているが、カリフォルニアには火山がない。しかしながらネバダ州との境のシェアネバダ山脈には、温泉がわきでているそうなので、地熱をもっているところはあるだろう。

このように環境にやさしい発電が身近にあるのにそれを使おうとしないのは、いかにアメリカが環境を軽視しているということを象徴している。先進国の中で京都議定書に調印しない国アメリカは、国土の広さを武器に、環境を破壊し続けている。環境どころか、石油強奪のための戦争により、国までを破壊した。中東の石油は電力消費大国そしてモータリゼーションアメリカの生命線であるが、自国権益確保のためにまずは自国で取り組むべき課題があるのではないだろうか。

さて、そろそろ今夜は電気を消して、寝ることとする。