破産

今朝、いつものように会社にくるとなんだか慌しい。

「買い手が決まって、破産法申請したって」

とうとう来たか。半年前からグループの戦略により、アメリカから撤退することはメディアにも報道され、社員にも知らされていたが、そのときがとうとう来たのである。この局面に際してぼくがどういう心境になるのか、自分自身も以前から今日みあったが、それを今日の日記に記してみることにした。

いきなり本題に入るまでに、バックグランドを少し説明する。
・雇用関係:   ぼくは、英国資本の会社の日本の従業員で、アメリカのグループ会社に出向できている。
・破産した会社: 今回、破産法を申請したのは、アメリカのグループ会社である。
・仕事の案件:  グループ会社へのERPパッケージ拡張導入。
・契約期間:   1年間の出向契約で、終了後日本に戻ることになっている。

イントラネットには、事実関係を伝えるニュース、詳細な想定問答集、今後のステップが既に掲載されていた。朝から全社員集めてアメリカのグループ会社の社長からスピーチがあった。その社長は2週間前に就任し、某企業のCFOとして破産法を指揮したプロである。今朝には前倒しで給与が支払われていた。すべてが用意周到である。

破産は避けられなかった。それは多くの残った社員たちは知っていた。この一年間で数千人規模のリストラを敢行し、社員数は1/3になった。社員減によりオフィスもどんどんクローズしていったが、リース物件であるため、直ちに債務からは免れることはなかった。債務から逃れ再出発をする道が、破産法の申請であり、それだけが売却できる有望な選択肢であった。さもなくば、残された道は事業清算であった。

だから破産法の申請の事実を聞いて、正直「よかったな」と思った。アメリカでは敗者復活のルールが制度化されており、戦略的に利用されている。日本も会社更正法があるが、敗者への世間の目は冷たく救済手段はごくごく限られている。

次に、売却先である。某投資銀行に売却が決定した。投資銀行とは、俗にはげたかファンドと呼ばれ、日本ではリップルウッド長銀新生銀行)、日本テレコムの国内長距離部門を買収したことで有名だ。倒産した会社を破格の値段で買い叩き、債務から逃れた上で、業務を改革して数年後新たな売却先に売り払う類の投資のプロである。

アメリカにくる前に、新生銀行に口座を開設した。ネットでの取引が充実しており、特にネット振り込み手数料が無料である点に惹かれた。他行にはない魅力で顧客を惹きつけている。多額の税金が投入されたが、顧客はその恩恵を受けているといっていい。ただし、問題に思うのは、リップルウッドも今後新生銀行を売却することによって多大なる利益を得るということである。その利益の元は、日本国民の税金である。はげたかファンドの効能は認めるが、それを日本の会社はできなかったということは悔やまれる。

今回の自分の会社のケースについて考えると、倒産にアメリカの税金が使われるわけでもなく、またアメリカの投資会社が売却するため、内需についての憤りはない。
ただ、債権保持者にとっては放棄して申し訳ないと思うが、これもビジネスのルールで、不良債権同様の企業の貸し倒れリスクである。

よって、はげたかファンドに売却されるということは、破産したアメリカのグループ会社に復活のチャンスが与えられ、独自性をもって再出発でき、それでいてアメリカ国民に迷惑かけないというわけで極めてポジティブに受け止めている。

唯一の不安材料は、中期的には再度売却されるということである。会社が軌道に乗って会社の価値ができた頃にそれはやってくる。売却して初めて投資会社は利益を得るビジネスの仕組みになっているからだ。

極めて客観的に、この事態を分析してみたが、当の自分はどういう風に感じているのか。一言でいうなら、「対岸の火事」である。自分の置かれた立場がそう思うことをさらに強めているのかもしれないが、所詮他人(この場合は、法人であるが)事である。会社が破産してもそれが嫌なら他で雇ってくれるところを探すだけである。ぼくの場合は立場的に、日本に戻るというパラシュートがある。リストラを掻い潜って残ったアメリカの社員はより独立性の強い道で再生ができるのだから、むしろイギリスの親会社にに統治されるよりハッピーだろう。さらなる合理化が進んでリストラされたらそれはそれで次を探せばいい。

このご時世、そんなことはざらにある。だから大事なことは、生涯に亘って自分の価値を増やし続けていくことである。このことを再確認した。人や組織、物への過度な依存は期待に反することがあるが、自分のことはなにもかも自分次第である。

このことを極めると、自分で事業をやるということになる。自分で責任をとることになるが、それと同時にさまざまな面でリターンとリスクが大きい。もっともインパクトの大きなリスク、例え事業に失敗したときでも、それはあくまでも事業としての失敗であって、人間としての失敗ではないということ。そして、事業はまたやり直せるということを頭に置いておけば、大きく先を見据えて構えられるのだ。